世間一般の「普通」とは常に他人を意識すること

こんにちは、兼業サラリーマンのMMです。

日常生活で「普通」という言葉はよく使われますね。

「普通の人」「普通の車」「普通の会社」「普通の人生」など、あらゆる場面で出てくる便利な言葉でもあります。

ふ‐つう【普通】

[名・形動]特に変わっていないこと。ごくありふれたものであること。それがあたりまえであること。また、そのさま。

-コトバンクより

辞書的にはこんな意味もありますが、大抵の人の理解と同じだと思います。

とても便利な「普通」という言葉ですが、時々この「普通」が人生を窮屈にしてしまうことがあります。

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普通の人生とは

世間一般では「普通の人生が幸せ」とよく言われます。

両親や周りからもこの助言を貰った方も結構いるのではと思います。

ここでの普通とはおそらく↓な感じかと思います。

  • 中流のサラリーマン家庭に生まれる
  • 幼稚園に通い、公立の小学校、中学校、高校に通う
  • 現役で大学進学
  • 大学卒業後は民間企業に就職
  • 30歳位で結婚
  • 子供を一人か二人もうける
  • 40歳位で家購入
  • 年に一、二回の旅行
  • 子供を大学卒業させる
  • 会社を定年まで勤め上げる
  • 老後は年金で暮らす

書いてて思いましたが、これを見ると確かに表面的には幸せそうに見えますね。

親の立場からも子供がこういう人生を歩んでいたら安心しそうです。

つい周りにもこういう人生が良いよ、と助言したくなってしまいます。

「普通」は他人の目を気にすること

ですが、この「普通」は常に他人が判断基準となっており、「普通を目指すこと」は常に他人を意識することを意味します

一生普通の人生を歩もうとすると、一生他人の目を気にすることになります。

親や周りは自分が普通の人生を歩むことで安心をしますが、その普通を求められるとそこでの自分の裁量権は無くなってしまいます。

また普通のレールから外れた場合、外れようとした時は周りからの反発が予想されますし、関係悪化にも繋がります。

普通を目指す限りは安定を得ることが出来ますが、同時に周りを常に気にし続ける我慢と引き換えになりますので、ちょっと窮屈に思えます。

何となく年功序列の会社で働くことと似ていますね。

リスク回避の「普通」か、リスクを負った「自由」か

「普通」を目指せばリスクを避けることが出来、リスクを負えば「自由」を手に入れることができますが、どちらが良いのでしょうか。

個人的にはリスクを負ってでも「自由」=世間の普通を目指さずに自分の歩みたい人生の方が良いと考えます。

理由としては他人の目を気にすることはストレスになり、疲れてしまうからです。

常に他人との比較になると、本来手段でしかない自分の肩書きや経歴にこだわり過ぎるあまり、本来の目的を見失うことに繋がりかねません。

日々を楽しく過ごせればそれで良く、他人の目を気にせずやりたいことをやれるような人生が良いですね。

他人に寛容な社会は「普通」が無い

他人に寛容な社会には「普通」が無いと考えています。

他人のどんな選択も受け入れてくれる社会であれば、他人の目を気にして普通を選ぶ必要がありません。

進学校から良い大学に行かなくてもよいですし、良い大学から必ずしも有名企業に行かなくても良いですし、出世しなくても、家を買わなくても、結婚をしなくても、当人が幸せであればそれで良いのです。

もし自分の意思があまり無ければ「普通」を目指すのも良いですが、自分の意思があって判断したことであれば、それを尊重できるようになりたいですね。

*ただしその判断が周りを不幸にすることであれば良くないです。

子供世代のために

普通というのはあくまで他人が決めた基準であり、周りにとって良くても、当の本人にとって良いものとは限りません。

むしろ枠をはめられることによってストレスを感じたり、窮屈さも感じます。

ただ普通であることは安定を意味しますし、普通から外れることはリスクでもあります。

ですが、それでも重要なことは楽しく過ごせるかですので、周りの目を気にせず自分の生きたいように生きれるようになって欲しいですね。

そのためには社会の寛容性が必要かもしれません。

そのためには小学校の頃から人の間違いやミスは当たり前という認識が広まる必要があります。

自分の子供世代のためにも、このような社会を作っていきたいですね。

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